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母から伝授されたおふくろの味が、ない。
でも、2、3歳の私に、本物の包丁を握らせ、料理遊びをさせてくれたのは、母だった。
外食好きの父と、料理があまり好きではない母、揃って喫茶店、コーヒー好きという組み合わせ。
昭和の時代とはいえ、東京には沢山レストランがあった。
ステーキにイタリアン、ロシア料理に台湾料理、寿司にそば、そして、店屋物という出前もあった。
その上、幼少期から母方の祖母、叔母家族と同じ敷地で生活をしていたため、父と私はしょっちゅう祖母の家へ行き、何かを食べていた。
おふくろの味と言われて連想できるのは、むしろ祖母の家で食べた手料理だ。
もちろん、家族3人で食卓を囲んだことはある。
が、記憶がとにかく薄いのだ。
思い出せるのは、レストランでの一コマばかり。
もちろん、母もご飯を作ってくれた。
お弁当だって思い出せる、たまごとひき肉、たらことインゲンの4色弁当、鶏のから揚げ、以上。
母は専業主婦だったはず。
まるで母親失格のような書き方をしてしまったが、その代わりに母は、かなり自由に子供の私に料理をさせてくれた。
料理だけではない、家の押し入れの引き戸に自由に絵を書かせてくれた。
外に庭がなかったので、家の中に滑り台やブランコもあり、外遊びを家の中でさせてくれた。
小学校半ば位には、すでにチキンをオーブンへ入れる料理を作っていたらしい。「私が作ったこともない、作れないようなものばかり作っていてビックりした。」と母がよく語っていた。
15歳のとき、外食好きの父が亡くなり、外食生活の終焉を迎えるかと思いきや、女2人の気軽さからか、喫茶店でグラタンを食べ、ピザトーストを食べる頻度が上がっていく。
高校生というタイミングもあり、ますます外食は当たり前になっていった。
と同時に、幼少期から包丁を握らせ、料理をさせてもらっていたので、なんのためらいもなく自分でご飯を作っていた。
そして、その当たり前な私の食のスタイルは、成人すると、ますますエスカレートしていった。
多くの人たちが、朝起きて9-5の会社勤めをし、家族で食卓を囲む生活がデフォルトな時代。
すでに核家族なのに、ひとり暮らしを始め、仕事もひとりで始めてしまったことで、世間でいう当時の普通な食生活からますます大きくズレていった。
仕事を終え、夜の街に繰り出し、夜中にたらふく飯を食うみたいな生活を送っていた。
年上の人たちにかわいがってもらい、韓国料理に中華、モティだ、シシリアだ、トニーローマだと、好きな物ばかり食べていた。
だからなのか?バリバリの日本料理がずっと苦手であった。
寿司、うなぎ、うどんは好きだったけれど、ご飯とお味噌汁におかず、てきな食事をするようになったのは、50歳を過ぎてからなのだ。とはいえそれも、1カ月に1度あるかないかくらいの頻度。
では、何が好きなの?と聞かれると、
肉。私は肉が大好きである。
体になんちゃらとか、聞こえては来るが、もう諦めている。
KFCが好きすぎて、高校生の時、迷わずアルバイトをした。
母から「3歳の時に、ミディアムレアのステーキをぺロリと食べたときはビックリした」と聞いたときには、納得と思った。そして、その時点で、「肉ばっかり食べて、、、」というかすかな、罪悪感のようなものは消えてしまった。
そんな外食三昧な日々ではあったが、肉ばかり食べていたわけではない。
同時に料理も好きであった。
10代から20代は、週末になると、誰かの家に集まり、ギャザリングパーティーをよくしていた。
みんな何か一品ずづ持ち寄って、映画を見たりおしゃべりしたりというあれ。
当時よく作った豚の角煮とラザニア、ジェロニモポテトは、40年近くたった今も作り続けているメニューである。
・・・
この偏った食の好みは、私のひとり旅にも現れている。
海外へ行くときは梅干しと醤油必須、みたいな心配は全くない。
今まで35カ国旅したことがあるのだが、何度もメキシコ以南ばかりを旅してきたのは、その目的に食べ物があったからだ。
20代の前半、それまで、アメリカで食べるテックスメックスをメキシコ料理だと思っていた。
それが、サンディエゴのボーダーを渡り、ティファナへ行って衝撃を受けた。
「全然違う!めちゃくちゃ美味しい」
やっぱりメキシコ料理はメキシコでしか食べれないな、と秒で偉そうに語っていた。
そして思った。
メキシコとはいえ、ティファナはカリフォルニア、アメリカよりだ。
日本の地方へ行けばその土地その土地の郷土料理があるように、メキシコ料理の奥も深いに違いない。そう思ったら、メキシコで、本来のメキシコ料理を食べてみたいと思った。
それが、私が何度もメキシコを旅していた理由だった。
そして、食の興味から、メキシコから南へどんどん食を求めて下って行った。
同じよう料理でも、国によってやはり違うのだ。それも面白かった。
特に、私の大好きなセビッチェ。
メキシコではじめて食べたとき、「美味しい!大好き!」と思った。
だから、グアテマラでも、コスタリカでも、エクアドルでもセビッチェを食べた。
けれど、最後に行ったペルーで、それまで食べた中で一番のセビッチェに出会ってしまう。
そう、ティファナでのあの時と同じ感動だ。
・・・
「全然違う!めちゃくちゃ美味しい」
・・・
私は料理をすることも好きなのだが、
食べに行った店の再現をしようとは思わない。
あの味は作れないのだ。
だから、自分の味を求めて、作る。
もどきみたいにはなる。が、自分の味を作ったに過ぎないのだ。
私の中で、外食と自分の料理は全くリンクしていない。
・・・
よく、「私の料理は○○のレストランより美味しいから」というセリフを耳にする。
そうなんだと思う。でもだからといって、私もそう思うかと聞かれたらNOかもしれない。
私は思うのだ。
食の趣味は、人によって大きく違うのではないか?いや違っていいのだ。
ご飯に何のためらいもなくグラニュー糖をザーっと入れ、牛乳をかけて食べる人。
宗教上の理由から、食の組み合わせにルールがある人。
せっかくの旅先なのに一切ローカルフードを食べず、マックばかり食べる人。
スーツケースも持たず、小さなバックパックだけなのに、辛ラーメンを出してきて食べる人。「えっ、薬とか、パンツより優先度の高いラーメンって???」食の大切さを知った瞬間である。
そんな様々な食のバックグラウンドを持った人たちと旅をしてきた経験が、私の食に対しての柔軟性を育てた。
誰かの食を否定しない。自分の好きを押しつけない。そして、自分の好きは、自分だけが決めていい。
そう思えるようになったのは、あの旅のおかげだと思っている。
私には、世間一般で語られるようなおふくろの味はない。
でも、まったく寂しいとも、恥ずかしいと思っていない。
母は料理という創作の楽しさを与えてくれた。父は、食の冒険へと連れ出してくれた。
ふたりが与えてくれたものが組み合わさって、私にとっての料理は、再現でも義務でもなく、遊びになった。
それだけのことだった。












