第5話:やってみたから諦められた―山林建築で学んだ自分のこと

2022年11月、山林建築プロジェクトを断念した。
時間とお金を使い、仕事も辞め、家財道具のほとんども処分して挑んだプロジェクト。

結果だけ見れば、すべてを無駄にしただけの話に見えるかもしれない。

でも今、2026年。あれから4年近くが経った今、心からこう思える。

あの時、断念して本当によかった。

なぜそう思えるのか。少し振り返ってみる。

無知だから挑戦できた―年齢を重ねると難しくなること

山林に家を建てる!

今、僅かばかりの知識を得た私なら、「やろう!」などと行動に移せなかったかもしれない。知らないからチャレンジできた、ということがある。

「無知というのは、時にいいことだ」

人は年齢を重ねると、それまでの経験で物事を考えてしまうところがある。シンプルに考えにくくなったり、挑戦する前に結果を決めてしまったりする。

でも、知らないからこそ、余計なことを考えずに飛び込める。

詳しく知るうちに気が変わったり、自分には向かないとわかったりすることもあるが、それはそれでいいのだ。

気が変わることで見えた本当の欲求

その時「これだ!」と思い行動に移しても、気が変わることはよくある。今日欲しいものを決めても、明日には気が変わることだってある。

欲しいと思っていたものが、詳しく知るうちに欲しくなくなり、別のものが欲しくなることだってある。

これは失敗ではなく、成功だと考えている。

それは、自分が何を望んでいるのかわからないということではなく、代わりに何か他のものを望んでいることがわかったということなのだから。

気が変わることは、自分が本当に望んでいることを浮き上がらせる作業なのだ。

作業の積み重ねがやがて道となり、自分の居場所に到達する。

年齢は関係ない。困難に直面した時に諦めることとは違う。

「移動しながら生きたい」と思っていたけれど

当時の私は「移動しながら生きたい」と思っていた。

どこかに定住し安定した生活を送るのではなく、数か月おきに場所を変えて暮らす。旅をする。そういう生き方を望んでいると信じていた。

私は20歳で海外ひとり旅をはじめてから、その後も数週間、数か月単位の旅をしてきた。

ずっと一人暮らしだったが、母の住む実家があったため、時に部屋を引き払い住民票を実家に置いて数か月の旅に出たりしていた。捨てられない荷物も、母の家に置かせてもらえた。

もともと一人暮らしの時も、同じ場所に長く住んでおらず、2、3年ごとに引っ越しをしていたので、持ち物は多くなかった。

母という拠点を失った今、その自由をどう取り戻すか。

山林に家を建てることは、その答えではなかったのだ。

実際に転々としてみて気づいたこと

そして実際に、この数年、自宅を空けて地方に住み、転々とフラフラしてみた。

海外ではないけれど、国内を点々と移動しながら暮らしてみて、気づいたことがある。

私が本当に求めていたのは「移動すること」ではなく、「未来を決めたくなかった」のかもしれない。

今年、来年、数年後——もし生きていたとして、どこに住んでいるか前提で考えるのが嫌だった。

「ここに定住する」と決めることが、息苦しかった。

15歳から勝手に背負っていた責任と、その皮肉

15歳で父が亡くなってから、周りの人たちから「あなたがお母さんを支えないと」と言われ続けた。

別に母のために何かできたわけでも、何をしたわけでもない。何かを頼んでくるような母でもなかった。

むしろもっと頼って欲しかったと思うほど、いつも「悪いからいい」という人だった。

それなのに、そんな責任のようなものを、ずっと勝手に抱えて生きてきた。そしてその責任から解放されたい、という思いが、ずっとあったように感じている。

でも皮肉なことに、その責任が、私の生きる意味、私が存在する意味のようになっていたことに、今になって気づいた。

ひとりの人生を模索中の今

今、自宅をリフォームして、自分らしいスペースを作っている。
自分の好きな空間で、こうしてHPを作ったり、ビジネスの仕組みを作ったり、インスタやKindleというものづくりを通して、自分のクリエイティビティを使って没頭する時間が、本当に幸せだ。

家にいるのが楽しい。

でも「ここが私の永遠の場所だ」とは思えない。

「世界のどこかに、私がもっと私らしくいられる場所があるはず」

「人生最後の時を送る場所は、ここではない気がする」

若い時は、周りの人たちと違う生き方しかできない自分にとっての居場所を探していた。

今は、家族がいない独りぼっちの自分の居場所を作りたいと、心のどこかで願っている。

まだ、模索している真っ只中だ。

山林に家を建てなかったことで、その自由は残された。

4年近く経ってわかったこと

断念から4年近く。この間に見えてきたことがある。

経済的なリスクを回避できた

もし2022年に建築を強行していたら、今頃どうなっていただろう。

建築費はさらに高騰し、完成しても維持費がかかり続ける。車がなければ生活できない場所で、冬は雪に閉じ込められる。

経済的にも、精神的にも、追い詰められていたはずだ。

自分の本質的な欲求を発見できた

「『家を建てたい』わけではなかった。本当に欲しかったのは、自由に動ける拠点ではなく、自由に動ける自分だったのだと気づいた。」

この発見は、山林建築を実際に進めたからこそ得られたものだ。

コロナ後の世界で見えたこと

2022年以降、世界は大きく変わった。

でも、私が望んでいたのはリモートワークでもワーケーションでもない。

働きながら旅するのではなく、自分で稼ぐ力を持って自由に動ける生き方。旅先でも仕事に追われるのではなく、自分で選べる環境。

山林に家を建てなくても——むしろ建てない方が——その自由に近づけることに気づいた。

この経験から得たもの

山林建築プロジェクトは失敗だったのか?
いや、違う。

建築知識という副産物

登記簿、公図、重ね図、鳥獣保護区、埋蔵文化財、建築確認申請、建蔽率、容積率、接道義務、幅員、浄化槽、電気工事士の講習も受けた——

全く知らなかった世界を、必死で学んだ。

この知識は、今でも役に立っている。

友人が家を建てる時、リフォームする時、不動産を探す時——少しだけ、力になれる。

そして、私と同じように「何もない場所に家を建てたい!」というぶっ飛んだ考えを持つ人へ、実体験として話すことができる。

失敗も含めて、すべてが誰かの参考になる。

自己理解の深化

何より大きかったのは、自分という人間をより深く理解できたことだ。

私は何を望んでいるのか。 何に縛られたくないのか。 どう生きたいのか。山林建築という「実験」を通して、その答えが見えてきた。

53歳で山林に家を建てようとした。知識ゼロから始めて、調べて、動いて、判断した。途中で諦めたが、それは「やってみたから」諦められたのだ。

やらずに諦めるのと、やってみて諦めるのとでは、まったく意味が違う。

山林建築は断念した。でも、あの経験で得たものは、今も私の中に生きている。

次は何をやってみようか。

—完——

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