それぞれのZ都市

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もう一度見たいけれど、見れない映画というのがある。

なぜなら、最初の感動をなぞることはできないから。

それに、もし、あの感動が記憶と違うものだったら?

せっかく抱いたあの感情を壊したくない、がっかりしたくない。

だからあえて見ないでおく。

この映画がそうだった。

『The Lost City of Z 』2016年

「失われた都市を探す冒険映画」と紹介される作品。

けれど私にとっては、冒険映画ではなく、人生について考える映画だった。

もう一度見ないほうがいい、そうずっと思っていた。

けれど、

近年のLIDAR調査で、アマゾンに大規模な先住民都市や、道路網が存在した痕跡があるのを知り、もう一度、この映画を見たくなった。

主人公が信じ続けたものは、本当に存在したのかもしれない。

・・・

最初に、この映画を見ようと選んだ時、何の思いも期待もなかった。

すでに本は読んでいて、ノンフィクションとして、その内容は知っていた。

引き込まれて、どんどん読み進めたけれど、それは好奇心のようなもので、大きく感動し、何かを自分に重ねるような読了後とは違った。

それに、映画の一般評価はあまりよくなかった。

映画の評論は、他人の視点で書かれているので全く気にはしないが、あれば読む。

「失われた都市を探す冒険映画」という空気感が本とは違い、なんともB級映画の雰囲気を醸し出していた。

原作はまったくのB級ではないのに。

そんな先入観で見始めた映画だったが、気づかぬうちに、どんどんと引き込まれていく。

途中から、「失われた都市を探すB級冒険映画」は、全く別の印象へ塗り替えられて行った。

本を読んでいたときは、どこか遠い世界の話で、探検家の人生を追いかけるノンフィクションで、それ以上でも、それ以下でもなかった。

ところが、映画では、その探検を見ている感覚は消えていき、気づけば「人は何を信じて生きるのか」そんなことを考え始めていた。

映画の中で冒険に出たつもりが、「人は何を信じて生きるのか」というような、人生の本質を考える旅に、すり替わっていったようだった。

冒険映画を見ていたはずなのに、いつの間にか、自分自身の人生について考えていた。

本を読んだときには得られなかった感情だ。

この映画は、わかりやすい結果を見せる冒険映画として終わっていない。

「失われた都市」は本当に存在したのか?

答えは、最後まで語られない。

最後に彼が何を見たのか、どこまで到達したのか、誰にも分かっていない。

その謎を残し、彼は消息も絶ち、消えてしまった。

皮肉にも、そのことが、この映画にも本にも、人をひきつけているのだと思う。

そして、映画のラストは「彼は本当に何かを見ていたのではないか?」
というロマンとして描かれている。

その「何か」が何であったのか。

その場面に来た時、ゾクっとするような怖さが襲ってきた。

世間で言われているような結末が、一瞬頭をよぎったからだ。

が、不思議なことに次の瞬間、なんとも言えない感動に包まれた。

「彼は幸せだったのではないか?」私はそう思った。

もちろんそんなことはわからない。

想像で決めつけるのはいけないが、その結末を、見ている私たちに委ねている以上、独自の解釈で理解してもいいのだろう。

主人公は「アマゾンの奥地には、高度な古代文明の痕跡が残っている」という1点を信じきって、探し続けた。

しかし、名声も得られず、証明もできず、最後は息子とともに消息不明という事実から、成功していないように思える。

けれども、

・・・

自分はやるべきことをやった。
自分が見たものを信じた。
誰に笑われても、その信念を手放さなかった。

・・・

そう思えるなら、それは成功なのではないか。

この映画は「失われた都市を探す冒険映画」として始まったけれど、最後まで見ると、都市そのものより、彼が何を信じて生きたかという話のように感じた。

私には主人公のように壮大な「Z都市」はない。
けれど、ある意味で、誰の人生にも「その都市」はあるのではないだろうか。

見つかるかどうかは分からない。
結果は、運や時代にも左右される。

それでも、人生の最後に、「自分は信じ切った。」そう思える人生を歩みたい。

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